大人の考え方とスタンス

『リア充』とは・・・果たしてなんぞやと、考えてみた

リア充な人

ちょっと隙間時間ができたものだから、
ひさしぶりにFacebookを開いて友人の投稿を眺めてみた。

Facebook画像

オレが歳を取れば、同じく友人たちも歳を取る。

年齢に比例して、みんな、
重要な仕事を任されることになるのだろう。

 

Facebook上の彼らの投稿が、
何だかよくわからない仕事の話で持ちきりとなってる。
そこではみんな、自分のことをよく見せようと必死だ。

 

多いパターンは
「最近は○○なプロジェクトで仕事をしましたー。
とても大変だったけど、終わってみたら感動です」みたいな話。

 

それを周囲の知り合いが “すごい、感動した” とか “いいね!” とか
手放しで褒め讃えるものだから、
結局そんな話題ばかりでタイムラインが埋まっていく。

 

それを目の当たりにして、
「そんな自己陶酔を発表されてもなあ・・・」
すごく白けて見ている、冷めた自分がいる。

まぁ、こんな自分はSNS時代に適していないのだろうな。。

 

タイムライン上にあふれかえる『リア充』・・・

さてそれはさておき、
Facebookの投稿から少し考えさせられた。

リア充な人

それは・・・ “リア充” とはいったい何だろうかということを。

 

もちろん、言葉の意味は知っている。
リアルの生活が充実しているという意味で間違いないかと。

念のためWikipediaで調べてみる。

【リア充(リアじゅう)】とは、リアル(現実)の生活が充実している人物を指す
2ちゃんねる発祥のインターネットスラングで、云々・・・」

なるほどね。
そういうことならさ、
友達とワイワイ騒いで、飲み呆けていたらそれは果たして『リア充』なのか??

 

だって、あたかもリア充面して
タイムラインに投稿している輩が多いからさ。

 

・・・ 申し訳ないがオレには、
どうもそこんとこイマイチ腑に落ちない。

 

そんなのって、オレに言わしゃ、
ただダラけて遊んでるだけと違うんかい?

 

むしろ「充実」って言葉とはかけ離れているって
考えないといけないのであってさ。

 

例えば、その飲みの場でパーっとやって、
「また明日から頑張るかぁ」ってなったら、
その「明日」こそがリア充なんだよ。

 

あるいはまたよくある投稿パターンとして、
「芸能人の○○と飲みに行きました」っていうのも目にするが、
こういう投稿もめちゃんこウザい。

芸能人の○○は確かにスゴイ人だけど、
だからってあなた自身がスゴイわけじゃない。

 

・・・むしろ、自分の無名ぶりを痛感させられて、悲しくないのかい?

 

『リア充』のオレと向き合ってみる

さて、
人々がそんなふうに酒を飲んだり、
海で遊んだりといったような気分転換を決して悪いとは思わない。
むしろ大切なことだとも思う。

 

ただ、それ自体は生きていくうえでの目的では決してない。

そんなことが『リア充』だと持て囃される昨今だからこそ、
皆それぞれここできちんと考えてみるべきである。

 

自分にとって『リア充』なことと言えば何だろうかと。

それは・・・
たとえばオレの場合、一人で集中して本を読んだりしながら、
学んでいる時間である。

 

もしくは、学ぶ部分のある人と一緒にいて、充実していると感じる時。

自分にとって苦手なことを、少しでも克服できた時。
自分が進むべき道に、もがきながら少しでも近付いた時。

 

何れにせよ、自分がどこかしら成長している、その瞬間を切り取った姿。
これがオレにとってのリア充である。

 

でもまぁ、そういう観点から言えば、
現時点の自分のアウトプットでしかないこんなブログを執筆している瞬間は、
基本的にはリア充な時間ではないと言えるのだが。。。

 

ただ、遊んで過ごす時間よりも、
こっちの方がオレにとって
よっぽどリア充として大切にしないといけない時間だ。

 

ただウィ~って叫んで飲んでいるような瞬間は、リア充とは程遠い。

もちろん友達とワイワイやるのは好きだし、だからこそ息抜きにもなるのは間違いない。

えー、ただ最近はFacebookに載せるようなことを
全然やれていないから、
負け惜しみでこんな話をしているだろ?って
突っ込まれたら否定はできんが(笑)。

 

オレが考える、“本当の意味での【リア充】”とは

でも、酒を飲んで騒いだりとか、海で遊びました-って、
大人である自分にとって、
それ自体を「充実してる」とは口が裂けても言いたくないなと。

 

本来の意味で言うならば、
インターネットで必要な知識を身に付けるのもリア充だし、
部屋に一人でこもって、
自分の知識と思想とが統合された瞬間もリア充だ。

 

ちなみに一物書きの端くれとして、
“リア充”な瞬間とは何かとリアルに自問自答すると、
それは例えば、試行錯誤している瞬間とかになるのかな。

 

だからこそ、オレはFacebookに、こんな投稿をしてみたいと思うよ(笑)。
「この三ヶ月もの間、こんなことを考えてみっちり書いていました。
・・・でも思いっきり駄作で、ボツにしちゃいました」
とか。

 

 

タイトな時間の中で、根詰めて死ぬほど書きまくった日とか。
原稿をくちゃくちゃに丸めた写真を添えて、
「めちゃくちゃ疲れました。ああ、疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた」とか。

 

 

締切間近で、食事もろくに摂れずに執筆している時とか。
「めちゃくちゃ腹減った。ああ、腹減った腹減った腹減った腹減った腹減った」とか。

 

どうよ、これこそがまさにリア充男の姿だろ?

 

他人から見るとくそつまらなさそうで、
だけどそんな辛い行動を嬉々としてやってのけてる。

――― そんな日常を送っているヤツこそが、
本当の『リア充』なのだと思う今日この頃である。

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