恋愛観

いつも心に哲学を! ~より良く生きるための哲学を持つ人、持たない人~

海辺の朝焼け画像

どうも最近、わかっていない女性が多すぎるきらいがある。

結婚や恋愛の相手を選ぶ基準について、
大事なことを見失っていやしないか。

相手にダメ出しをする際の、
一番のネックが「経済力」って話だけど、
男である僕はこれに関しては納得できる部分も大いにある。
お金がなければ結婚生活の維持は難しいことは事実だからだ。

だけど、ここで女性に強くモノ申したい。

「男は年収○○万円ないと論外」だなんて、
何の思慮もなく簡単に言い放つような女性は許せない。
そんな人間のことを、何を根拠に信用しろと?
結婚願望
人間の絆をお金で買えると信じて疑わない女に、
どうして男性が好感を持つのだろうか。

傲慢さは人間の成長を阻害する

恋愛や結婚は綺麗事だけで済まないのは百も承知。
人間が己のエゴを完全に克服するなど不可能に近い。

ただ、僕が嫌いなのは傲慢に陥ることである。
これは、他人に対しての傲慢さばかりじゃなく、
自分に対しての傲慢さも含む。
傲慢は思考や思慮を停止させ、精神的堕落を生む源。

そして、僕は心に哲学のない女性が大嫌いだ。
分かりやすい悪意やエゴに溺れる女は必ずと言っていいほど、
心に哲学が存在しない。

心の哲学は貴賤を問わず、常に思慮を巡らし自問自答する人間ならば
誰でも持ち得るものだと僕は思う。

「最近の男は草食系ばかりでつまらない」

とか、

「男なら年収500万が最低条件」

などと軽々しく言う女は、ことごとく心の哲学を持っていない。
むしろ捨てている。

そこが僕として許せないし、
イマドキの女性を軽蔑してしまう理由なのだ。

自分自身の存在を、世界に問いかける行為を継続すべし

確かに女性の存在は偉大である。

子供を産めるのは女性であるし、
世の中のブームや気運を握っているのも女性の力だということは否定できない。

これは男にとっては一生手に入らない、
尊敬に足る資質だということを完全に認める。

けれど、その一方で目先の幸せや快楽に執心するあまり、
他人への配慮や自問自答を怠る女性が増え続けている。
自分にとって利益や関心のない話に対して、
真剣に耳を傾けない女性が多すぎる。

「何故生きるのか?」

「自分にとって人とは何か?」

「人にとって自分とは何か?」

今、どれだけの若い女性が真摯に人生と向き合っているだろうか?

異性を、ひいては他人を、
“自分が幸せになる為の手段“と割り切ることも、
ある意味でたくましいと言える。

しかし、そこまでで思考を停止しているようでは
浅慮だとしか言いようがない。

「今の自分は本当にこれで良いのだろうか?」 と考え続け、
試行錯誤を繰り返しながら生きること。
それこそが人間のあるべき姿
なのだ。

「自分は悪くない、間違っていない」などと自負するあまり、
考えることを止めてしまっては人間として成長していかない。

どれほど容姿に優れ社会的スキルやお金を持っていようとも、
心に哲学を持たない人間と共存していく自信を、僕は持ち合わせていない。

世の中があらゆる問題で閉塞していく中、
人間の心も退廃の一途を歩んでいるようだ。