
子供の頃は、手帳を開けば
未来には楽しい行事が盛りだくさんに待ち受けていた。
思い返せば、学校の授業もいろいろ学習できて楽しかったもの。
理科の実験はワクワクするし、
図画工作ではこれから何を作るか楽しみだった。
それが大人になると、
どういう訳か手帳を埋めるのはことごとくつまらない仕事ばかり。
嫌なことをひとつこなして、
そしてまた次に嫌なことが積み重なってくる。
それでもって年月が経てば経つほど歳を取り、
悲しいかな、醜くなっていくのが世の定め。
毎朝、「会社に行かなければ大変困ることになる」という恐怖で目が覚め、
ただただつまらないことしか存在していない会社へと向かう。
通勤電車の中で「今日もまたつまらない一日が始まった。
今日は何時に帰れるだろうか?」という悲壮な思いをめぐらせる。
魂の抜けた肉体を会社に捧げて、
サヴァイヴする日々。
これでは、まるで売春婦と同じである。
究極の地獄絵図こそが、ありふれた日常
学生の頃は「今日も一日どんなことがあるのかワクワク。
一日が長ければいいのにな」と考えていたものだ。
・・・今とはまったくの正反対。
生きていたいから、生きているのでは決してない。
死ぬのが怖いから、どうにかこうにか生きているに過ぎないのだ。
皆、嫌なことをひとつひとつ、
淡々とこなしていくだけの人生を送っている。
そして嫌なことのレベルは年々底上げされ、
それを完遂できなければ身の破滅を招く。
昔の寓話で、地獄の話がある。

そこでは、石を積み上げて、
それらが積み上がったら鬼が来て崩すというものだ。
そこでは大衆が穴を掘って埋め、また穴を掘って埋め、
そんなことが延々と繰り返される。
そんなやりがいや達成感のない強制労働によって、
死ぬまで追い込まれるのだ。
しかしこの世の現実は、さらに酷いことになっている。
ひとつひとつの作業が、
例えばそんな石を積み上げるような単純作業なら肉体が辛いだけで済む。
精神的にはダメージが少ない。
だがこの世の現実は、嫌な思いをして、
そのうえ身体をも酷使することを容赦なく求められる。
身も心もすり減らして時間を消費する日々だ。
こんな地獄よりも酷な作業を“ただ何とか死なないように、
給料をもらうため”だけに延々と繰り返している。
――― それが多くの人にとっての、ありふれた日常なのだ。
死ぬまで地獄をサヴァイヴすることが、人生のノルマ
昔の奴隷は、単純作業を延々とさせられた。
現代の奴隷は、より高度で複雑な仕事を延々とやらされる。
そこに達成感はなく、
何としてでもやらないと大変な目にあうという
恐怖から逃れるために仕方なくこなしているだけ。
ひとつクリアして“ホッ”としたら、また次に難題が押し寄せてくる。
自分の手帳を見ると、未来はそんな苦行であふれており、
「苦痛な作業を続けるためだけに生きているのではないか」
という錯覚にいつしか囚われることになる。
これではまったくもって、地獄と同じ。
否、現実は地獄以上の苦痛が待ち受けている。
それが60歳で退職するまで続き、そこでやっと解放される。

だから、ただ「退職」という支配からの解放を夢見て
生きているにすぎないことが嫌になる。
60歳でハッピーリタイア。
ようやく苦痛である石積みから解放される・・・。
そんなささやかな希望しか、胸には去来しないのだ。
それでもまぁ60歳で退職できれば、
向こう10年は何とか人生を楽しめるだろう。
その幸福な10年だけが生きる目的だが、
最近は悲しいことに年金の受給年齢が65歳となったことで
その希望すら危うくなってしまった。
こうなると、もはや解放されたころには青春は終わり、
今度は親の介護と自分が死ぬ準備をしなければいけなくなる。
若い肉体は失われ、萎れて世の使い物にならない老人として生きる。
顔の皮膚はヨボヨボして、体力も気力もない。
人生どこまで行っても、地獄から解放されやしないのである。
恋愛は魔法の処方箋になりうるのか?
そんな現実を目の当たりにしてしまうと、
恋愛こそが苦行のすべてから逃れさせてくれる魔法の技術のような気がして、
それにすがってしまう。
美しい女性をはべらせ、若い肉体をむさぼれば、
むなしい現実を忘れ幸福になるという幻想を抱いて・・・。
ところが実際は、恋愛に逃げ道を求めても、
それは風俗やギャンブルと同じで
いつまでたっても本質的な満足を得られない。
それどころか、相手にすがれば相手にとっては負担になり、恋人は離れていく。
それはもちろん相手も自分と同じく、
つまらない人生にウンザリしながらも楽しみを求めているからだ。
互いに与え合う関係でないと人づきあいはうまくいかない。
こちらが一方的に求めてばかりでは、
それが相手の幸福に結びつかないうえに、
相手にとっては人生の貴重な時間を潰してしまう苦痛な作業が増えるだけ。
相手だって幸福を求めているのだから、
そんな関係は解消したいと願うのも仕方がない。
恋の本質とは・・・

だからこそ、こんなことを想う。
“孤独を自分の中で処理することができてから、
はじめて恋をすることができる” と。
一人で落ち着けなければ、
二人でいても負担になるだけ。
求める者は必死でまわりが見えなくなるが、
求められる者は冷静でいられる。
互いに、自分が求める以上に相手から求められる――
そんな相互関係が成り立つところにはじめて、
素敵な恋が発生する。
“自分の孤独を恋愛する相手で晴らすのではなく、
相手の孤独をなぐさめてあげられる心の余裕”
―― それが恋なのである。
「恋ナビ24h」