ツイッターを眺めていた。
ふと、誰かのツイート(誰のだったか忘れた)が気になった。
そこにはこのようなことが書かれていた。
『貧乏やバカ、怠け者やデブになるための計画を立てる人間はいない。
無計画だからこそそうなってしまうのだ』
確かにそのとおりなのだろうな、と思った。
しかし、無計画に陥ってしまうにも理由があるだろう。
ほとんどの人は計画を立てる行為が好きだと思う。
それって、夢を妄想する行為とほぼイコールだから。
計画を立てている時は、とても楽しい。
だが実のところは、そもそも計画を立てたところで、
その計画通りに進まないことがほとんどではないか。
僕なんかはいつもそうだ。
いつも、一年の始まりや、何かの節目ごとに目標を掲げたり、
夢を語ったりして意気込む訳だが、
いざ走り始めてみるとそこには様々な誘惑や障害が待ち受けている・・・。
ならば、どうすれば障害や誘惑を超えることができるのだろうか?
なぜ、時間の経過と共に、
計画が無意味なものに成り下がってしまうのかを、じっくりと考えてみたくなった。
精神論なんかより、計画を遂行する“技術”がはるかに重要
僕はボクシングを嗜んでいる。
始めてから、かれこれ足かけ6年ほどになる。
リング上で試合ができるようになったのは、
始めてから3年経ったくらいあたりだっただろうか。
練習に練習を重ね、自分の恐怖心を克服することや、
「試合するのだ」というボクシングそのものへのリスペクト心を
十分養ってからでないとリングに立つのは無理だった。
これは自分自身の意思だったこともあるが。
しかし、つい最近、中学生くらいのガキが同じボクシングジムへ入ってきた。
初心者の彼であったが、ほんの1か月ほどジムで練習したら、
もう試合に出ていたのには驚いた。

練習のための練習、そしてその先にある実戦と、
実戦がありそのためにする練習の違い。
上達が早いのは、果たしてどちらだろうか。
『天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある
』
(山口真由著・扶桑社)という本を読んだ。
(しかし、この本のタイトル秀逸ですね。マッチョ思考の人にはたまらないのでは?
僕はこのタイトルセンス、好きです。)
最近やっと気づいたことがある。
計画を成し遂げるには、根性とかではなくて、
「計画を成し遂げる“技術”」が明確に必要だ。
もはやいい歳をした僕であるが、
このことに気づいたのは、ほんのつい最近のことだ。
物事がうまくいっていない人に共通して言えることだが、
計画という敵と無意味に戦っている。
自ら精神的に追い込んでしまうのだ。
計画が思い通りに進まないと、自己嫌悪に陥って、自分を卑下したり・・・。
そういう無駄な力で頑張りすぎてしまうと、
継続すること自体が難しくなってくる。
でも必要なのは、精神的なものなんかとは全然違う。
計画を進めていく技術なのだ。
そのあたりのことが、この本でとても丁寧に解説されていた。
僕自身、非常に感銘を受けた良書だった。
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