先週の日曜日、結婚した津山くん(仮名男性)は「結婚できたらいいな」とは夢見ていたらしいのだが、一方で「結婚できなくてもまあいいかぁ」と考え、婚活らしきものをほとんどしていなかったらしい。
普通の人は「自分の努力で道は開ける」と考えてしまうため、なんとかしようとあがき、多大なお金と時間を費やし人生を浪費してしまう。
一方、津山くんは、すべてを天にまかせ、ただチャンスがあった時は果敢に行動した。
もし一生チャンスが来なかったら・・・。
そしたらそれで結婚できない人生を満喫したことだろう。
津山くんは浅田(仮名男性)と共通の友達で、昔は3人でよく遊んだが、私も浅田も婚活に忙しくなってしまい、ここ10年、ほとんど会っていなかった。
私と浅田が婚活で忙しく遊べない間、彼は日本各地の島々を巡ったり、こだわりのそば打ちをしたり、酒好きの上司と酒蔵探訪をしたりと、驚くほどいろいろな体験をしていた。
沖縄の宮古島にある民宿がお気に入りで、毎年、夏休みはそこで過ごし、南国の美しい風景とゆったりした夏の日々の話をしてくれた。
よくもまあ結婚できないのにあせりがないものだ・・・。
彼は、セックス教室で学んだ1人だ。
そんな彼が12歳も年下の綺麗な女性にアプローチされ、結婚してしまったのだ。
私と浅田はお互い顔を見合わせ「いったい俺たちの努力はなんだったんだろうか?」と思わざるをえなかった。
今回、結婚式に参加し、初めて彼に兄がいることを知った。
それが・・・。
はっきりとは分からないが、察するに障害を持った人のようなのだ。
顔かたちの様子からみるに、何かの麻痺と知的な障害がうかがわれる。
ダウン症ではないのだが、普通の状態ではない。
津山くんにとってはつらいことだろうし、お兄さんはもっとつらいことだろう。
こんな障害を持ったら、不幸は結婚できないレベルではない。
私と浅田は「結婚できないと不幸になる」と焦って活動しては、女に振り回され、絶えず不幸であった。
一方、津山くんは、不幸な家庭に生まれたがゆえに幸福になることはあきらめ、ただ日々のささやかな幸福を積み上げる人生を歩んできた。
それが結果として私や浅田より幸福な人生を歩むこととなった。
アメリカの哲学者、エリック・ホッファー氏の言葉に「幸福を追求すること。これこそが不幸になる主な原因である」というものがある。
原文 The search for happiness is one of the chief sources of unhappiness.
(by Eric Hoffer)
幸福な人は「私は幸福になれる」と思い、幸福を求めるため、かえって不幸になり、
不幸な人は自分が幸福になることをあきらめてしまっているため、かえって幸福になる。
津山くんの結婚式では、津山くんと浅田と私の3人が写った写真がいくつかスライドで紹介された。どれも懐かしいものばかりだった。
浅田がため息をついた。
「昔は俺たちあんなに若くて美しい体をしていたんだな」
私もそれを痛感した。
なかなか認識できないが、写真を並べられると、おじさんになってしまった今の姿が痛々しく目に焼きつく。
私たちは「幸福を得るためがんばるのは素晴らしい」と教えられてきたが、本当のことを言えば、将来の幸福より今の方が大事。
若くて美しい時期こそ幸福なはずなのに、その幸福を投げうって、将来、自分が得たい幸福のためにがんばる。
それは、結局、人生の黄金期を捨て、お金を抱えた老人を夢見るようなもの。
津山くんのような「幸福を求めてあがくことがない生き方」はなかなかできない。
そこまで運を天にまかせるほど心に余裕はないし、
第一、彼はそれで幸福になれなくても、それはそれでよいと腹をくくっている。
これは不幸な兄を見てきたためなのかもしれないが、マネはできない。
たとえ人生の浪費であっても、将来の幸福のために、あれこれ行動してしまう。